東京高等裁判所 平成8年(行ケ)85号 判決 1997年5月29日
神奈川県中郡二宮町二宮351-1
原告
小野泰三郎
訴訟代理人弁理士
柳田征史
同
佐久間剛
同
中熊眞由美
東京都千代田区霞が関3丁目4番3号
被告
特許庁長官
荒井寿光
指定代理人
浅野長彦
同
幸長保次郎
同
吉野日出夫
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第1 当事者が求める裁判
1 原告
「特許庁が平成5年審判第3728号事件について平成8年2月9日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決
2 被告
主文と同旨の判決
第2 請求の原因
1 特許庁における手続の経緯
原告は、昭和62年4月27日に名称を「消波安定海面浮上構造体」とする発明(以下、「本願発明」という。)について特許出願(昭和62年特許願第103680号)をしたが、平成5年1月6日に拒絶査定がなされたので、同年2月25日に査定不服の審判を請求し、平成5年審判第3728号事件として審理された結果、平成8年2月9日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決がなされ、その謄本は同年5月1日原告に送達された。
2 本願発明の要旨(別紙図面A参照)
多数の杆体と該杆体を連結する球体と前記杆体に設けられた安定用円板とからなるトラス構造体を基本的構成単位とし、海面に浮遊する浮上部と、この浮上部と一体的に連結され該浮上部から海中の適当な深度まで垂下し、前記円板による面的な変動抑止力により着底することなくアンカー効果を有するアンカー部とからなる海面浮上構造体
3 審決の理由の要点
(1)本願発明の要旨は、その特許請求の範囲に記載された前項のとおりと認められる。
(2)これに対し、昭和53年特許出願公開第42432号公報(以下、「引用例1」という。別紙図面B参照)には、概略、海面に浮遊する浮上部と、この浮上部と一体的に連結され該浮上部から海中の適当な深度まで垂下した消波堤1からなる多目的利用海上セミサブ構造物が示されている。ところで、別紙図面Bの第3図の記載から、消波堤1の浮上部から海中の適当な深度まで垂下した部分は、係留装置(9)、(10)を外すと海上に浮上しつつ海流を利用する、移動と自航能力によって長期航海が可能となる基地を実現するから、本願発明と同様に解すれば、海底に着底しておらず、しかも海中において相当大きな容積を占めるから、大きな慣性と海水に対する抵抗力があり、このため変動抑止力を有しアンカー効果を有しているものと推定できる。
引用例1記載の発明は以上のように解されるから、引用例1には次の事項が記載されているものと認められる。
「海面に浮遊する浮上部と、この浮上部と一体的に連結され該浮上部から海中の適当な深度まで垂下し、変動抑止力により着底することなくアンカー効果を有する消波堤1からなる多目的利用海上セミサブ構造物」
次に、昭和58年特許出願公告第26443号公報(以下、「引用例2」という。別紙図面C参照)には、概略、多数のトラス杆体22a、22b、22cと該トラス杆体22a、22b、22cを連結する球体2と前記トラス杆体22a、22b、22cに設けられた円板10とからなるトラス構造体を基本的構成単位とし、海面に浮遊する浮上部と、この浮上部と一体的に連結され該浮上部から海中の適当な深度まで垂下した水中トラスによる消波構造物が示されている。ところで、引用例2記載のトラス構造体は、非等方性の多数の円板10が設けられているために、高い消波効果を有し、また、高い透過率があることから波のエネルギーによってこのトラス構造物が破壊されることがない一方、静止した海中に根を下ろして海水とともに静止状態をもって、大きな慣性と海水に対する抵抗力を有するためアンカー効果を有しているものと推定できる。
よって、引用例2記載の円板10は安定用円板としても機能し、また、円板10による面的な変動抑止力によりアンカー効果を有するアンカー部を構成しているものと推定できる。
引用例2記載の発明は以上のように解されるから、引用例2には次の事項が記載されているものと認められる。
「多数のトラス杆体22a、22b、22cと該トラス杆体22a、22b、22cを連結する球体2と前記トラス杆体22a、22b、22cに設けられた安定用円板10とからなるトラス構造体を基本的構成単位とし、海面に浮遊する浮上部と、この浮上部と一体的に連結され該浮上部から海中の適当な深度まで垂下し、前記円板10による面的な変動抑止力によりアンカー効果を有するアンカー部とからなる水中トラスによる消波構造物」
(3)本願発明と引用例1記載の発明とを対比すると、引用例1記載の「消波堤1」は本願発明の「アンカー部」に相当し、また、引用例1記載の「多目的利用海上セミサブ構造物」は本願発明の「海面浮上構造体」と軌を一にするから、両者は、
「海面に浮遊する浮上部と、この浮上部と一体的に連結され該浮上部から海中の適当な深度まで垂下し、変動抑止力により着底することなくアンカー効果を有するアシカー部とからなる海面浮上構造体」
である点で一致し、本願発明が多数の杆体と該杆体を連結する球体と前記杆体に設けられた安定用円板とからなるトラス構造体を基本的構成単位とし、前記円板による面的な変動抑止力によりアンカー効果を有するアンカー部を有しているのに対して、引用例1記載の発明は変動抑止力によりアンカー効果を有する消波堤1を有するにとどまっている点において相違する。
(4)上記相違点について検討する。
まず、多数の杆体と該杆体を連結する球体と前記杆体に設けられた安定用円板とからなるトラス構造体を基本的構成単位とし、前記円板による面的な変動抑止力によりアンカー効果を有するアンカー部を有する構成は、引用例2に記載されている。
次に、引用例1及び引用例2記載の発明は消波構造物という同一の技術分野に属し、消波機能とアンカー効果をもたらすという共通の課題と、海面に浮遊する浮上部と、この浮上部と一体的に連結され該浮上部から海中の適当な深度まで垂下し、変動抑止力によりアンカー効果を有するアンカー部とからなるという共通の構成を有するから、引用例1記載の発明に引用例2記載の発明を適用して、相違点に係る本願発明の構成を得ることは、当業者が容易に想到できたものである。
したがって、本願発明は、その特許出願前に日本国内において頒布された引用例1及び引用例2記載の発明に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものであるから、特許法29条2項の規定により特許を受けることができない。
4 審決の取消事由
審決は、各引用例記載の技術内容を誤認した結果、一致点の認定及び相違点の判断をいずれも誤り、本願発明の進歩性を否定したものであって、違法であるから、取り消されるべきである。
(1)一致点の認定の誤り
審決は、引用例1記載の「消波堤1」は本願発明の「アンカー部」に相当すると認定している。
上記認定は、引用例1の第3図に示されている構造物の「消波堤1の浮上部から海中の適当な深度まで垂下した部分は、係留装置(9)、(10)を外すと(中略)変動抑止力を有しアンカー効果を有している」との推定に基づくものである。しかしながら、引用例1には、「消波堤(1)の下部には消波堤を浮遊させるだけの浮力を有するフロート(1a)が設けられており、これに係留装置(9)が取付けられている。」(3頁左上欄5行ないし7行)、「セミサブ構造物は係留装置(9)(10)で海上に係留され」(同頁左下欄9行、10行)と記載され、その第3図にフロート(1a)及びシリンダー(4)にそれぞれ取り付けられた係留装置(9)、(10)が示されているのみであって、係留装置(9)、(10)を外してセミサブ構造物を使用することは示唆すらされていないから、引用例1記載の発明は、係留装置(9)、(10)によって海底に着底された消波堤(1)を含むセミサブ構造物にすぎない。すなわち、引用例1記載の消波堤1は、波浪外力を減少させる作用(消波作用)のみを有するものであって、波浪外力による浮上部の変動を抑止する安定作用(アンカー効果)を有するものではない。
この点について、被告は、引用例1記載の消波堤1は「海中において相当大きな容積を占めるから、大きな慣性と海水に対する抵抗力があり、このため変動抑止力を有」するものであって、本願発明が要旨とするアンカー効果と同等程度の安定作用は有していると主張する。しかしながら、たとえ水中において大きな容積を占めるものであっても、水に対する流体力学上の抵抗が小さければ容易に移動してしまうから、大きな慣性を有するとはいえず、アンカー効果を有することはない。そして、水に対する流体力学上の抵抗の大小は、主として全体及び表面の形状によって決まるのであって、本願発明は、多数の安定用円板で海水を三次元的に抱え込むようにして海水に対する抵抗を高め、変動抑止力を得るものであるが、引用例1記載の消波堤1のような形状では、海水に対する抵抗を高めて変動抑止力を得ることはできない。
したがって、本願発明と引用例1記載の発明とは「浮上部と一体的に連結され該浮上部から海中の適当な深度まで垂下し、変動抑止力により着底することなくアンカー効果を有するアンカー部」を有する点において一致するとした審決の認定は誤りであり、これによって看過された相違点の判断の遺脱が、本願発明の進歩性を否定した審決の結論に影響を及ぼすことは明らかである。
(2)相違点の判断の誤り
<1> 審決は、引用例2には「多数のトラス杆体22a、22b、22cと該トラス杆体22a、22b、22cを連結する球体2と前記トラス杆体22a、22b、22cに設けられた安定用円板10とからなるトラス構造体を基本的構成単位とし、海面に浮遊する浮上部と、この浮上部と一体的に連結され該浮上部から海中の適当な深度まで垂下し、前記円板10による面的な変動抑止力によりアンカー効果を有するアンカー部とからなる水中トラスによる消波構造物」が記載されていると認定している。
しかしながら、上記の認定は、以下の理由によって誤りである。すなわち、
a 引用例2には、「トラス構造体を基本的構成単位」とし、「浮上部」と「この浮上部と一体的に連結され該浮上部から海中の適当な深度まで垂下し」た部分とからなる構成の消波構造物は記載も示唆もされていない。引用例2記載の消波構造物は、その実施例を示す別紙図面CのFIG.3から明らかなように、多数のトラス構造体からなる消波構造物と、この構造物を海底に着底するための脚部23、錨24及びコンクリート塊25からなるものであって、この脚部23は、トラス構造体ではあるが、杆体及び球体のみで構成されており、円板状フランジは配設されていない。そして、脚部23の一端は円板状フランジが非等方性の配列に設けられたトラス構造物に連結され、他端はコンクリート塊25に連結されており、引用例2記載の消波構造物は、コンクリート塊25を錨24によって海底に固定することによって海底に着底されるものである。
このように、脚部23には引用例2記載の消波構造物を特徴づける非等方性の配列の円板状フランジが設けられておらず、脚部23は、消波構造物をコンクリート塊25に連結して海底に着底するための連結機能を果たしているにすぎない。引用例2記載の発明は、消波構造物を、杆体及び球体のみからなる従来の水中トラスに円板状フランジを非等方性の配列に設けたものによって構成することを特徴とするものであり、このような構成を採用することによって、従来の水中トラスでは得られない、高い消波作用と全体としての高い波透過率という特有の作用効果を奏するものであるが、非等方性の配列の円板状フランジが設けられていない脚部23は、このような消波作用及び波透過率を実現するものではない。
したがって、引用例2記載の脚部23を、トラス構造体を基本的構成単位とし、浮上部と一体的に連結され該浮上部から海中の適当な深度まで垂下した水中トラスと解することはできない。
b 引用例2記載の消波構造物を構成するトラス構造体の特徴である非等方性に配列された円板状フランジが脚部23に配設されていないことは、引用例2記載の発明においては、消波構造物全体をトラス構造体によって構成し、さらに、この構造物が「浮上部」と「浮上部と一体的に連結され該浮上部から海中の適当な深度まで垂下し」た部分とからなるという着想自体が存在しないことを意味する。
つまり、引用例2記載の発明において、「多数のトラス杆体22a、22b、22cと該トラス杆体22a、22b、22cを連結する球体2と前記トラス杆体22a、22b、22cに設けられた安定用円板10とからなるトラス構造体」を基本的構成単位として構成されていると認識できるのは、円板状フランジが非等方性に配列され、消波作用を有する部分のみであるから、引用例2記載の消波構造物を、「浮上部」と「浮上部と一体的に連結され該浮上部から海中の適当な深度まで垂下し」た部分という2つの異なる部分から構成されるものと認識することは不可能である。
c そうすると、引用例2には「多数のトラス杆体22a、22b、22cと該トラス杆体22a、22b、22cを連結する球体2と前記トラス杆体22a、22b、22cに設けられた円板10とからなるトラス構造体を基本的構成単位とし、海面に浮遊する浮上部と、この浮上部と一体的に連結され該浮上部から海中の適当な深度まで垂下した水中トラスによる消波構造物が示されている」としたうえで、「引用例2記載の発明のトラス構造体は、非等方性の多数の円板10が設けられているために、高い消波効果を有し、また、高い透過率があることから波のエネルギーによってこのトラス構造物が破壊されることがない一方、静止した海中に根を下ろして海水とともに静止状態をもって、大きな慣性と海水に対する抵抗力を有するためアンカー効果を有しているものと推定できる」とした審決の認定は誤りといわざるをえない。
引用例2記載の発明は、同発明より前に特許出願された同一出願人の発明(昭和49年特許出願公開第94140号)の水中トラス構造物が「単に杆体と球体を結合したものであるため、波の透過率が高過ぎて、消波能力は低い」欠点を持つことを克服し、「高い消波能力を有する水中トラスにおける消波構造物を提供することを目的とするもの」であって、杆体及び球体のみからなる従来のトラス構造体の斜材上に「円板状のフランジを非等方性の配列に設けた」ことを特徴とし、この構成によって、「この構造物に押し寄せた波は非等方性に配列された多数のフランジにより効果的に乱流に変換され」、しかも「基本的構造である水中トラスは波あるいは流れに対して極めて高い透過率を有するものであるから、全体として波に対する透過率は高く、この消波構造物が破壊されるおそれはない」という効果を得るものである。このように、引用例2記載の発明の技術的課題は、従来の消波構造物を上回る高い消波作用を持ち、かつ、適度の高い波透過率を有する消波構造物を得ることであって、引用例2にはアンカー効果については何ら記載されていない。そして、引用例2記載の発明の実施例を示す別紙図面CのFIG.3の水中トラスが、前記のように錨及びコンクリート塊を用いて着底されているのは、同発明においては、そのトラス構造体が(仮に海中に垂下されても)安定作用、すなわちアンカー効果を実現するという認識がないことを意味している。
したがって、引用例2には「多数のトラス杆体22a、22b、22cと該トラス杆体22a、22b、22cを連結する球体2と前記トラス杆体22a、22b、22cに設けられた安定用円板10とからなるトラス構造体を基本的構成単位とし、海面に浮遊する浮上部と、この浮上部と一体的に連結され該浮上部から海中の適当な深度まで垂下し、前記円板10による面的な変動抑止力によりアンカー効果を有するアンカー部とからなる水中トラスによる消波構造物」が記載されているとした審決の認定は、明らかに誤りである。
<2> 以上のとおりであるから、「引用例1及び引用例2記載の発明は(中略)、消波機能とアンカー効果をもたらすという共通の課題と、海面に浮遊する浮上部と、この浮上部と一体的に連結され該浮上部から海中の適当な深度まで垂下し、変動抑止力によりアンカー効果を有するアンカー部とからなるという共通の構成を有する」とした審決の認定は、引用例1についても引用例2についても誤りである。そして、引用例1記載の発明に引用例2記載の発明を適用しても、相違点に係る本願発明の構成を得ることは極めて困難であるから、審決の相違点の判断は誤りである。
第3 請求原因の認否及び被告の主張
請求原因1(特許庁における手続の経緯)、2(本願発明の要旨)及び3(審決の理由の要点)は認めるが、4(審決の取消事由)は争う。審決の認定判断は正当であって、これを取り消すべき理由はない。
1 一致点の認定について
原告は、引用例1には係留装置(9)、(10)を外してセミサブ構造物を利用することは示唆すらされておらず、その消波堤1はアンカー効果を有するものではないから、引用例1記載の「消波堤1」は本願発明の「アンカー部」に相当するとした審決の認定は誤りであると主張する。
しかしながら、海面浮上構造体は、係留しなければ「海流に流されて移動可能」(本願明細書8頁16行、17行)であるが、「長さが1km以上」(同2頁3行、4行)もある構造体が漂流することは極めて危険であるから、通常は係留して使用され、かつ、多くの場合、自航能力を有するものである。引用例1記載のセミサブ構造体も、通常は係留装置によって係留して使用され、必要なときは係留装置を外して移動することもできるものと解されるが、係留装置を外した場合は、自航能力を持たない限り漂流するおそれがあるから、漂流を防ぐ何らかの手段を備える必要があることは明らかである。
ところで、本願発明のアンカー部が有すべき「アンカー効果」とは、本願明細書によれば「すべての外力に対して安定作用すなわちうねり等にも対応して実用的に殆ど静止の慣性が維持できる能力」(3頁3行ないし5行)によって「比較的大きい波に対して構造体の上下動を防止して静止させる作用」(同頁19行、20行)をいうものとされている。すなわち、本願発明が要旨とする「アンカー効果」は、一定の位置に止まるという一般的なアンカー(anchor:錨を下ろして停泊する。)の作用を意味するのではなく、浮上構造体に対して安定作用を与えることを意味するのである。そして、引用例1記載の消波堤1のうち、浮上部から海中の適当な深度まで垂下した部分は、審決において説示したように、「海底に着底しておらず、しかも海中において相当大きな容積を占めるから、大きな慣性と海水に対する抵抗力があり、このため変動抑止力を有」することが明らかであるから、一般的な意味におけるアンカーの作用は有しないが、本願発明が要旨とするアンカー効果と同等程度の安定作用は有すると考えることができる。
したがって、引用例1記載の「消波堤1」は本願発明の「アンカー部」に相当するとした審決の認定に誤りはない。
2 相違点の判断について
原告は、引用例2には「多数のトラス杆体22a、22b、22cと該トラス杆体22a、22b、22cを連結する球体2と前記トラス杆体22a、22b、22cに設けられた安定用円板10とからなるトラス構造体を基本的構成単位とし、海面に浮遊する浮上部と、この浮上部と一体的に連結され該浮上部から海中の適当な深度まで垂下し、前記円板10による面的な変動抑止力によりアンカー効果を有するアンカー部とからなる水中トラスによる消波構造物」が記載されているとした審決の認定は誤りであり、したがってこの認定を前提とする相違点の判断は誤りであると主張する。
しかしながら、引用例2には、「第2図に示した水中トラスの基本ユニットがさらに組み合わされて、第3図のような水中トラスが構成される。」(5欄17行ないし19行)と記載され、別紙図面CのFIG.2には、杆体1と球体2とからなるトラス構造体に円板が配設されたものが記載されている。そして、すべての円板を水面下に配設すれば波は消波構造物を乗り越えてしまうし、すべての円板を水面上に配設すれば波は円板の下を通り過ぎてしまい、いずれの場合も十分な消波作用を果たすことができないことは技術的に自明であるから、引用例2記載の消波構造物には水面の上下にわたって円板が配設されていると考えるのは当然のことである。このことは、昭和60年特許出願公開第88707号公報(乙第2号証)記載のように海底に固定する消波構造体であっても、本願発明、引用例1あるいは昭和60年実用新案出願公開第18090号公報(乙第3号証)記載のように海面を浮遊する消波構造体であっても、消波部分が水面の上下にわたって存在する構成こそが、高い消波作用を有するとされていることから明らかである。
したがって、「引用例2記載の発明のトラス構造体は、非等方性の多数の円板10が設けられているために、高い消波効果を有し、また、高い透過率があることから波のエネルギーによってこのトラス構造物が破壊されることがない一方、静止した海中に根を下ろして海水とともに静止状態をもって、大きな慣性と海水に対する抵抗力を有するためアンカー効果を有しているものと推定できる」とした審決の認定に誤りはない。
この点について、原告は、引用例2記載の発明は消波構造物を杆体及び球体のみからなる従来の水中トラスに円板状フランジを非等方性の配列に設けたものによって構成することを特徴とするものであるから、別紙図面CのFIG.3に図示されている非等方性の配列の円板状フランジが設けられていない脚部23は、「多数のトラス杆体22a、22b、22cと該トラス杆体22a、22b、22cを連結する球体2と前記トラス杆体22a、22b、22cに設けられた安定用円板10とからなるトラス構造体を基本的構成単位とし、(中略)浮上部と一体的に連結され該浮上部から海中の適当な深度まで垂下し」たものと解することはできない旨をるる主張する。しかしながら、原告のこの主張は、審決が引用例2の記載を援用した趣旨を取り違えたものである。
すなわち、引用例2記載の消波構造物は、その特許請求の範囲に記載されているように、「互いに非平行な斜材を多数含む水中トラスにおいて、少なくとも前記斜材に、その斜材に直角な円板状フランジを非等方性の配列に設けたことを特徴とする水中トラス」を基本的構成単位とし、これを適宜に組み合わせて構成されるものであるが、審決は相違点の判断において、この基本的構成単位の構造を援用したのである。そして、そのような基本的構成単位によって構成され、したがって非等方性の配列の円板状フランジが水面の上下にわたって設けられている消波構造物は、高い消波効果と高い波透過率を有すると同時に、海中の適当な深度まで垂下した部分は本願発明が要旨とするアンカー効果を有すると考えることができる。別紙図面CのFIG.3は、引用例2記載の発明の一実施例として、消波構造物を海底に固定する手段を付加したものを示しているにすぎないから、別紙図面CのFIG.3に図示されている脚部23を論拠とする原告の前記主張は明らかに失当である。
第4 証拠関係
証拠関係は、本件訴訟記録中の書証目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。
理由
第1 請求原因1(特許庁における手続の経緯)、2(本願発明の要旨)及び3(審決の理由の要点)は、当事者間に争いがない。
第2 そこで、原告主張の審決取消事由の当否を検討する。
1 成立に争いのない甲第2号証(特許願書添付の明細書及び図面)及び第3号証(手続補正書)によれば、本願明細書には、本願発明の技術的課題(目的)、構成及び作用効果が次のように記載されていることが認められる(別紙図面A参照)。
(1)技術的課題(目的)
本願発明は、海上に浮上する構造体、特に長さが1km以上の大きさで、自立的な生活が可能な、外洋における浮遊基地に適する浮上構造体に関するものである(明細書2頁3行ないし6行)。
従来、内湾性の海洋上に生活可能な基地を設置する場合、この基地を安定させるために、着底した柱で浮上部を支持することが考えられてきたが(同2頁8行ないし11行)、外洋性の波のエネルギーは時として莫大なものであるため、波浪等の衝撃に対して十分に堅固な大規模構造体を作ることは実際上極めて困難である。また、着底構造の柱を必要とする構造では、水深の大きい海洋上における設置は当然困難である(同2頁15行ないし3頁1行)。
本願発明の目的は、消波作用すなわち波動を消去し、その運動を緩和する作用と、すべての外力に対して安定作用すなわちうねり等にも対応して実用的に殆ど静止の慣性が維持できる能力とを備え、いずれの海上においても着底せず浮遊したままで安定する基地を実現する浮上構造体を提供することである(同3頁2行ないし10行)。
(2)構成
上記の目的を達成するために、本願発明は、その要旨とする構成を採用したものである(手続補正書3枚目2行ないし8行)。
すなわち、多数の杆体と球体とからなる水中トラス構造物に、消波及び安定の作用を有する円板を設けた構造物を組み合わせることによって、海上に浮遊する広大なスペースをもつ浮上部と、海中に延ばされたアンカー効果部とを、トラス構造により一体的に構成するものである(明細書3頁12行ないし17行)。
(3)作用効果
本願発明によれば、浮上部が波を効果的に消波し、アンカー部が構造体全体を安静状態に維持して、消波作用と安定作用を備えた海上における浮上構造体が得られ、外洋上における基地の実現が可能となる(明細書9頁8行ないし15行)。
2 一致点の認定について
原告は、引用例1には係留装置(9)、(10)を外してセミサブ構造物を利用することは示唆すらされておらず、その消波堤1は消波作用のみを有しアンカー効果を有するものではないから、本願発明と引用例1記載の発明とは「アンカー効果を有するアンカー部」を有する点において一致するとした審決の認定は誤りであると主張する。
検討するに、本願発明の海面浮上構造体あるいは引用例1記載のセミサブ構造物のように巨大な構造体が位置制御の手段を持たずに漂流することは極めて危険であり、利用上も多大の支障を生ずることは当然であるから、そのような構造体が係留装置あるいは自航能力を備えるべきことは技術的に自明である。そして、成立に争いのない甲第4号証によれば、引用例1には、「特許請求の範囲(1)外周に消波堤を有する円形状の外殻構造体と当該構造体に内包され、かつ液密空間を有する内殻構造体とを各構造体の中心位置にてシリンダーで一体化せしめて、波浪外力を前記外殻構造体のみにて受けさせ、内殻構造体に伝わる外力を減少させることを特徴とする多目的利用海上セミサブ構造物」(1頁左下欄4行ないし11行)と記載されていること、別紙図面Bの第3図はその一実施例を図示したものであること(原告が引用する引用例1の記載内容は上記実施例についての説明にすぎない。)が認められるから、引用例1記載の発明は、そのセミサブ構造物を係留式あるいは非係留式のいずれかに特定するものではなく、したがって、別紙図面Bの第3図記載のセミサブ構造物を係留装置(9)、(10)を外した状態で利用することは、当業者において必要に応じ適宜に選択しうることにすぎないというべきである。
そして、前掲甲第2号証によれば、本願明細書には「アンカー部が比較的大きい波に対して構造体の上下動を防止して静止させる作用を有し」(3頁19行ないし4頁1行)、「静止した海中に根を下ろして海水とともに静止状態をもって、大きな慣性と海水に対する抵抗力とし維持する効果(アンカー効果)」(7頁7行ないし10行)、「海面近くの波により浮体全体が上下動しようとする動きは、海水中に根を下ろして静止しているアンカー部2Bの分散している円板が支えて阻止することによつで、浮体全体が如何なる波動にも安定化する。」(7頁14行ないし18行)と記載されていることが認められるから、本願発明が要旨とする「アンカー部」が有すべき「アンカー効果」とは、大きな波浪によって浮上構造体が上下動することを防止し、安定させることであると解することができる。
一方、前掲甲第4号証によれば、引用例1には「波浪外力は消波堤(1)で受けさせ」(3頁左下欄10行、11行)と記載されていることが認められるから、引用例1記載の消波堤1が主として消波作用を果たすべきものとして構成されていることはいうまでもない。しかしながら、同時に、引用例1記載の実施例を示す別紙図面Bの第1図及び第3図をみれば、消波堤1の浮上部と一体的に連結され該浮上部からから海中の適当な深度まで垂下した部分は、海中において相当大きな容積を占めるものとならざるをえない。そして、水中において大きな容積を占める構造体は、たとえその形状が流体力学上は抵抗が大きくないものであっても、それ自体が有する大きな慣性によって、水に対して容易には移動しない安定性を有することも明らかであるから、引用例1記載の消波堤1は相当程度の変動抑止力を有するものであり、本願発明が要旨とする「アンカー部」が有すべき「アンカー効果」、すなわち、大きな波浪によって浮上構造体が上下動することを防止して安定させるという作用効果をも奏していると推定することには、相応の根拠があるというべきである。
この点について、原告は、水に対する流体力学上の抵抗の大小は主として全体及び表面の形状によって決まると主張するが、それは、例えば本願発明が要旨とするアンカー部のように、それ自体は水中において大きな容積を占めるものではないが、多数の安定用円板によって大量の水を構造体内に捕捉し、捕捉された大量の水が有する慣性を変動抑止力として利用する構成のものに妥当することであって(このことを、本願発明は、その特許請求の範囲において「円板による面的な変動抑止力」と表現しているものと解される。)、形状は流体力学上の抵抗が大きいとはいえないが水中において大きな容積を占める構造体が、水に対して容易には移動しない安定性を有することを否定する理由は全くない。
したがって、引用例1記載の消波堤1の浮上部から海中の適当な深度まで垂下した部分は変動抑止力によるアンカー効果を有しており、引用例1記載の「消波堤1」は本願発明の「アンカー部」に相当するとした審決の認定に誤りはない。
3 相違点の判断について
原告は、引用例2には「多数のトラス杆体22a、22b、22cと該トラス杆体22a、22b、22cを連結する球体2と前記トラス杆体22a、22b、22cに設けられた安定用円板10とからなるトラス構造体を基本的構成単位とし、海面に浮遊する浮上部と、この浮上部と一体的に連結され該浮上部から海中の適当な深度まで垂下し、前記円板10による面的な変動抑止力によりアンカー効果を有するアンカー部とからなる水中トラスによる消波構造物」が記載されているとした審決の認定は誤りであり、したがってこの認定を前提とする相違点の判断は誤りであると主張する。
しかしながら、成立に争いのない甲第5号証によれば、引用例2には、「特許請求の範囲1 互いに非平行な斜材を多数含む水中トラスにおいて、少なくとも前記斜材に、その斜材に直角な円板状フランジを非等方性の配列に設けたことを特徴とする水中トラスによる消波構造物」(1欄17行ないし21行)、「トラス杆体1と球体2によって構成される水中トラスの基本ユニットは第2図に示されるような四面体のユニットである。4本のトラス杆体1と4個の球体2を使用して水中トラスの基本ユニットを構成している。この場合、(中略)円板10は相互にぶつからない程度の大きさに設定される。第2図に示した水中トラスの基本ユニットがさらに組み合わされて、第3図のような水中トラスが構成される。」(5欄10行ないし19行)と記載され、別紙図面CのFIG.2には、各杆体1に対して直角方向に設けられた複数の円板状フランジが互いに非等方性の配列に設けられたものが図示されていることが認められる。そして、審決は、このような基本ユニットを多数組み合わせて構成される消波構造物のうち、水中に存在する部分を「円板による面的な変動抑止力によりアンカー効果を有するアンカー部」と捉えていることが明らかであるから、引用例2記載の技術内容に関する審決の認定には何ら誤りはない。
この点について、原告は、引用例2記載の発明は消波構造物を杆体及び球体のみからなる従来の水中トラスに円板状フランジを非等方性の配列に設けたものによって構成することを特徴とするものであるから、別紙図面CのFIG.3に図示されている非等方性の配列の円板状フランジが設けられていない脚部23は、「多数のトラス杆体22a、22b、22cと該トラス杆体22a、22b、22cを連結する球体2と前記トラス杆体22a、22b、22cに設けられた安定用円板10とからなるトラス構造体を基本的構成単位とし、(中略)浮上部と一体的に連結され該浮上部から海中の適当な深度まで垂下し」たものと解することはできない旨をるる主張する。
しかしながら、そもそも審決は、別紙図面CのFIG.3に図示されている脚部23が消波構造物の「浮上部と一体的に連結され該浮上部から海中の適当な深度まで垂下し」た部分であり、この部分がアンカー効果を有するアンカー部であると説示しているのではないから、原告の上記主張は前提において誤っているといわざるをえない。そして、平均的な水面が風等によって上下動することが波に他ならないから、消波安定構造体が消波と安定の両作用を最も効果的に果たすためには、構造体が平均的な水面の上下にわたって存在しなければならないことは当然と考えられる。そして、そのような構成は、成立に争いのない乙第2号証によれば、昭和60年特許出願公開第88707号公報に「この発明の消波装置は、(中略)波浪の発生する海洋M中に、(中略)円筒状構造体1を、その上端を海面P上に出しかつその下端を海底面Eから若干の距離をおいた海面P下に位置させて、直立させて設置したものである。」(1頁右下欄6行ないし11行)と記載され、また、成立に争いのない乙第3号証によれば、昭和60年実用新案出願公開第18090号公報に「波浪の激しい海域において浮ドックを曳航する場合または浮ドックを停止させた状態で入出渠作業や修理作業を行なう場合は、箱体(中略)の高さの中間部が海面にくるようにこれらの位置を調整する。このようにすれば、浮ドックに向かって進行してくる波は穴あき箱体(中略)を通過するときに減衰し、浮ドックに対する波浪の影響が軽減される。したがって、波浪中でも浮ドックの動揺は小さく」(5頁8行ないし6頁1行)と記載されていることが認められることからすれば、本出願当時、当業者によって一般的に採用されているところと解される。したがって、引用例2記載の「斜材に直角な円板状フランジを非等方性の配列に設けたことを特徴とする水中トラスによる消波構造物」にも、水中に存在する部分が当然存在すると解することができるから、この部分を「浮上部と一体的に連結され該浮上部から海中の適当な深度まで垂下し」た部分とし、これが「円板による面的な変動抑止力によりアンカー効果を有するアンカー部」に相当するとした審決の認定判断には、何ら誤りはない。
そうすると、前記のとおり変動抑止力を実現するという点において本願発明が要旨とする「アンカー効果」と共通する作用効果を奏すると推定し得る引用例1記載の消波堤1(の浮上部と一体的に連結され該浮上部から海中の適当な深度まで垂下した部分)の具体的構成として、引用例2記載の「多数の杆体と該杆体を連結する球体と前記杆体に設けられた安定用円板とからなるトラス構造体」を基本的構成単位とする構成を適用することは、当業者ならば容易に想到し得た事項というべきであるから、相違点に関する審決の判断も是認することができる。
4 以上のとおりであるから、審決の認定判断は正当として肯認し得るものであって、本願発明の進歩性を否定した審決に原告主張のような誤りはない。
第3 よって、審決の取消しを求める原告の本訴請求は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 竹田稔 裁判官 春日民雄 裁判官 山田知司)
別紙図面A
<省略>
1…海上プラットホーム
2…消波安定部
1、2A…浮上部
2A…防波堤
2B…アンカー部
23…消波安定用円板
<省略>
別紙図面B
<省略>
(1)……消波体
(2)……外殻構造体
(2a)……上部外殻構造体
(2b)……下部外殻構造体
(3)……内殻構造体
(4)……シリンダー
(5)……援衝手段
<省略>
別紙図面C
1 トラス杆体、2 球体、20、21…水中トラス
<省略>